かつて津八幡宮は千歳山(現;垂水・石水博物館付近)にあり、寛永9年(1632年)に津藩の二代目藩主である藤堂高次公によって、現在の八幡町藤方にうつされました。かつては「八幡神社」などと呼ばれ、時代を追うごとに名称が変遷していましたが、現在は「津八幡宮」となっています。地元では、「八幡さん(はちまんさん)」と呼ばれ親しまれています。
津八幡宮は津まつりの起源であることで知られており、10月第2月曜日の前々日と前日に神輿渡御神事、10月15日に例祭が執り行われます。神輿渡御神事と同日にはしゃご馬や分部町唐人踊り、八幡獅子舞などの出し物が氏子町を巡行するほか、津市中心部では様々な催し物が行われ、古くから津まつりとして市民に親しまれています。
御祭神は、応神天皇、神功皇后、住吉大神、津藩の初代藩主である藤堂高虎公で、津の街の鎮守神、総氏神として崇敬されています。
津八幡宮 ホームページ
関連の地

津八幡宮の社殿(左)と手水舎(右)、その間に見えるのが社務所
現在の津八幡宮は、津市八幡町藤方に在ります。かつては千歳山(現;垂水・石水博物館付近)にありましたが、津藩の二代目藩主である藤堂高次公によって、現在の地にうつされています。
津八幡宮は多くの木々に囲まれ、その木々は森を形成しています。かつては現在の結城神社の境内を含む森全体が津八幡宮の境内でしたが、のちに結城神社がその森の北側半分に造営され、現在では森の北側が結城神社、南側が津八幡宮となっています。
氏子町である八幡町は、津八幡宮から西へおよそ200mほど離れたところに在り、南北に細長く、その中心となる通りは伊勢街道となっており、地元では「八幡通り」と呼ばれています。津八幡宮も住所は八幡町ですが、氏子町の八幡町からは離れており、八幡町の飛び地住所となっています。
昭和の住所表示によって他の地名になる可能性がありましたが、津八幡宮の氏子町として古くから関わりがあり、歴史がある地名であることから、町民が「八幡」の名を残すことを強く希望し、現在でも古くからの「八幡町」の名が残っています。
津八幡宮(寛永 9年(1632年)より)
かつての津八幡宮の地 付近(寛永 9年(1632年)まで)
社殿
かつての社殿は、八幡造の豪華で立派なものでした。しかし、昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の空襲によって、社殿や神輿を含む境内のほとんどの建造物が焼失しました。現在の社殿は、昭和42年(1967年)に氏子らの篤志奉賽によって復興し、造営されています。

戦前の社殿(津八幡宮蔵)
参道
津八幡宮の参道は、社殿から南へ延びる参道と、社殿から西へ延びる参道があります。南の参道は約200メートルほどの長さで、その入口に大鳥居が建っており、津八幡宮の表参道となっています。また、西の参道は南の参道よりかなり小規模ですが、氏子町である八幡町への最短経路となるため、八幡町民の多くはこちらの参道より参拝しています。
また、現在の結城神社北端から近鉄道路を交差して伊勢街道(通称;八幡通り)へと延びる通りも、かつては津八幡宮の参道として栄えた通りでした。平成の中頃までは、この通りと八幡通りとの交差点(T字路)に、津八幡宮の参道であることを示す石碑が建立されていましたが、現在は西の参道入口に移設されています。

大鳥居と参道
手水舎
津八幡宮の手水舎は、戦火を逃れた、津八幡宮で現存する最古の建造物です。現在は社殿に向かって東側にありますが、かつては現在の位置とは異なる場所に建っていたため、戦火を逃れることができました。
手水舎の屋根の内側には千社札が多く貼られており、手水舎が古くから残っていることが分かります。
※現在は寺社仏閣に千社札を貼付することは禁止されています。
御旅所
10月の神輿渡御神事の際に、神様がお泊りになる建物で、神輿が一晩安置されます。
時代とともに御旅所は転々としているようですが、現在は津観音の五重塔北側(津市大門)にあります。
現在の御旅所は、平成16年(2004年)に建て替えられたもので、同年9月18日に竣工祭が執り行われています。

御旅所と神輿
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現在の津八幡宮と氏子町との関係性は、藤堂高次公によって津八幡宮が現在の地にうつされ、同時に八幡町を設置されたところまで遡ります。
古くは津城下の各町が、祭礼の際に競い合うように出し物を出していたことから、八幡町のほか、津城下全体が津八幡宮を氏神として奉仕していたと考えられます。
現在では八幡町をはじめ、大門や東丸之内など、かつての津城城下町を中心に氏子が住み、津八幡宮を奉仕しています。特に八幡町はその成り立ちからも津八幡宮と関係が深く、神社の奉仕者や行事の参加者の割合が高くなっています。また、神輿渡御神事における神輿の担ぎ手の多くは八幡町在住者や出身者で、幼少期より境内で遊んだり、行事に参加したりと、古くから津八幡宮との結びつきが強い町となっています。
なお、津八幡宮が千歳山(現;垂水)に在った時代の古地図にも八幡町の地名を見ることができますが、現在の地図と照らし合わせると垂水の付近に記されていることから、津八幡宮が現在の地にうつされた際に、八幡町も現在の地にうつったものと考えられます。
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八幡宮は、八幡神社や八幡社など神社により名称は異なりますが、八幡大神(はちまんおおかみ)と呼ばれる応神天皇(おうじんてんのう)や誉田別尊(ほんだわけのみこと)を主祭神として、応神天皇の母神である神功皇后(じんぐうこうごう)と比売大神(ひめおおかみ)を御祭神としています。
八幡宮の起源は、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮で、およそ1500年前の欽明天皇(きんめいてんのう)時代に、宇佐の地に祀られるようになったのがはじまりとされています。
その後、平安時代には国家の守護神として、京の都の裏鬼門(南西)に当たる男山に鎮座することを宣託(神様がお告げを出すこと)し、勧請(神仏の御分霊を願い迎えること)されて造営されたのが京都府八幡市の石清水八幡宮です。その後、八幡大神を武士の守護神とする八幡信仰が全国に広まり、お宮が各地に造られるようになりました。津八幡宮も、石清水八幡宮から御分霊を勧請され、伊勢国に初めて建立された八幡宮と伝えられています。
宇佐神宮 ホームページ
石清水八幡宮 ホームページ
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津八幡宮は伊勢国に初めて建立された八幡宮と伝えられ、建武年間(1334年~1338年)に現在の京都府八幡市にある石清水八幡宮の御分霊を、千歳山(現;垂水)に勧請(神仏の御分霊を願い迎えること)されたことに始まります。その後、寛永9年(1632年)に藤堂高次公によって現在の八幡町藤方にうつされ、同時に、藩祖である藤堂高虎公を開拓神として合祀し、鎮守神、総氏神として崇敬されるようになりました。
寛永12年(1635年)には、高次公によって八幡町をはじめとする各町に祭礼を執り行うよう推奨・保護され、その祭礼は津まつりとして現在までおよそ400年間続いています。
明治時代には津の街の氏神神社として、明治6年(1873年)に郷社、明治40年(1907年)に県社へ昇格して現在に至ります。
神社名の変遷
津八幡宮は、その長い歴史の中で時代とともに神社名が変遷しています。
明治より以前には「八幡宮」と称され、地名より「安濃津八幡宮」とも呼称されています。その後、明治年間(1868年~1912年)の神衹制度などの改革により、様々な神社の社号が整理された際、「八幡神社」と改称されました。
平成三年(1991年)には、古来の社号である「八幡宮」を称し、「津八幡宮」となって現在に至ります。
↑
鎌倉室町
建武年間
(1334年~1338年)
室町幕府初代将軍の足利尊氏が石清水八幡宮(京都)より分霊を勧請し、伊勢国垂水村千歳山山上に八幡宮を造営した。(伊勢国における初の八幡宮)
鎌倉室町
建武年間
(1334年~1338年)
室町幕府初代将軍の足利尊氏が石清水八幡宮(京都)より分霊を勧請し、伊勢国垂水村千歳山山上に八幡宮を造営した。(伊勢国における初の八幡宮)
江戸
寛永 9年(1632年)
正月20日に、藤堂高次公(以下、高次)が千歳山(現;垂水)に祀られていた八幡宮を現在の地(八幡町藤方)に遷し、正殿、拝殿、神庫、華表(鳥居)の造営を命じて普請作事が始まる。
9月10日夜に、御神入り(御移り)が行われる。
9月11日に、高次が八幡宮を津の町の総鎮守に定め、奉仕のために八幡町を設置し、八幡町を永代に諸公事の免除をした。
寛永12年(1635年)
8月に、最初の祭儀が行われる。
10月17日に、高次が祭礼渡御の資金として八幡宮に銀10貫を寄進・貸与する。
この頃、高次が三十六歌仙扁額を寄進する。
寛永13年(1636年)
8月15日を祭日とし、八幡宮祭礼(現;津まつり)が始まる。祭礼は、8月9日より神輿を八幡町内の御旅所に遷し、15日に津城内をはじめとし、市中各町を神輿が渡御した。その際、八幡町と津町には祭り銀が家ごとに与えられ、また、芝居興行が赦免された。
現在に続く分部町唐人踊りが祭礼の出し物として始まる。
寛永15年(1638年)
8月28日に、高次が祭に出た町人に褒美を与える。(年代は諸説あり)
寛永21年(1644年)
12月15日に、高次が垂水村と藤方村の計300石の土地を八幡宮に寄進する。
明暦 2年(1656年)
山中為綱「勢陽雑記」に当時の祭礼行列の次第を記録する。
万治 元年(1658年)
8月15日に、藤堂高久公が藤堂仁右衛門宅にて八幡宮祭礼を見る。
※当年ほか、万治三年(1660年)、寛文十年(1670年)に祭礼を見た記録がある。
貞享 2年(1685年)
御旅所から南参道の間にも家を建てるよう通達される。
文政 6年(1823年)
12月7日に、平松楽斎が藩主高兌社参に陪し、藤堂高虎蔵を拝する。
天保13年(1842年)
「八幡御祭礼之次第」にこの年の祭礼行列の次第が記録される。
文久 2年(1862年)
5月に、尾張赤津窯加藤忠吉作の陶製灰釉大狛犬が奉納される。
江戸
寛永 9年(1632年)
正月20日に、藤堂高次公(以下、高次)が千歳山(現;垂水)に祀られていた八幡宮を現在の地(八幡町藤方)に遷し、正殿、拝殿、神庫、華表(鳥居)の造営を命じて普請作事が始まる。
9月10日夜に、御神入り(御移り)が行われる。
9月11日に、高次が八幡宮を津の町の総鎮守に定め、奉仕のために八幡町を設置し、八幡町を永代に諸公事の免除をした。
寛永12年(1635年)
8月に、最初の祭儀が行われる。
10月17日に、高次が祭礼渡御の資金として八幡宮に銀10貫を寄進・貸与する。
この頃、高次が三十六歌仙扁額を寄進する。
寛永13年(1636年)
8月15日を祭日とし、八幡宮祭礼(現;津まつり)が始まる。祭礼は、8月9日より神輿を八幡町内の御旅所に遷し、15日に津城内をはじめとし、市中各町を神輿が渡御した。その際、八幡町と津町には祭り銀が家ごとに与えられ、また、芝居興行が赦免された。
現在に続く分部町唐人踊りが祭礼の出し物として始まる。
寛永15年(1638年)
8月28日に、高次が祭に出た町人に褒美を与える。(年代は諸説あり)
寛永21年(1644年)
12月15日に、高次が垂水村と藤方村の計300石の土地を八幡宮に寄進する。
明暦 2年(1656年)
山中為綱「勢陽雑記」に当時の祭礼行列の次第を記録する。
万治 元年(1658年)
8月15日に、藤堂高久公が藤堂仁右衛門宅にて八幡宮祭礼を見る。
※当年ほか、万治三年(1660年)、寛文十年(1670年)に祭礼を見た記録がある。
貞享 2年(1685年)
御旅所から南参道の間にも家を建てるよう通達される。
文政 6年(1823年)
12月7日に、平松楽斎が藩主高兌社参に陪し、藤堂高虎蔵を拝する。
天保13年(1842年)
「八幡御祭礼之次第」にこの年の祭礼行列の次第が記録される。
文久 2年(1862年)
5月に、尾張赤津窯加藤忠吉作の陶製灰釉大狛犬が奉納される。
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明治
明治 2年(1869年)
11月に、藤堂高が戊辰の役にて戦死した藩士を祀る表忠社(後の官祭招魂社)を境内に建てる。
明治 4年(1871年)
廃藩により、市街の産土神として氏子の崇敬社となる。
北浜町(現;東丸之内)の牟山神社が仮の御旅所となる。
明治 6年(1873年)
三月に、安濃郡郷社に列せられる。
旧暦から新暦への改暦により、大祭日が9月15日に改められる。
明治14年(1881年)
9月14日に、県社に列せられる。
明治15年(1882年)
1月24日に、境内社の村社結城神社が別格官幣社に列せられ、境内社から取り除かれる。
明治16年(1883年)
境内地の半分ほどが分割され、結城神社の境内となる。結城神社は、翌明治17年に新築社殿に遷宮する。
明治19年(1886年)
12月に御旅所が北町に新設移転される。
明治24年(1891年)
大祭日が10月15日に改められる。
明治25年(1892年)
10月に御旅所が旧津城内の東之丸に新築移転される。
明治42年(1909年)
9月19日に、官祭招魂社が下部田に移築し、遷座する。(現;広明町・三重県護国神社)
明治44年(1911年)
12月に、鳥居が建て替えられる。
明治
明治 2年(1869年)
11月に、藤堂高が戊辰の役にて戦死した藩士を祀る表忠社(後の官祭招魂社)を境内に建てる。
明治 4年(1871年)
廃藩により、市街の産土神として氏子の崇敬社となる。
北浜町(現;東丸之内)の牟山神社が仮の御旅所となる。
明治 6年(1873年)
三月に、安濃郡郷社に列せられる。
旧暦から新暦への改暦により、大祭日が9月15日に改められる。
明治14年(1881年)
9月14日に、県社に列せられる。
明治15年(1882年)
1月24日に、境内社の村社結城神社が別格官幣社に列せられ、境内社から取り除かれる。
明治16年(1883年)
境内地の半分ほどが分割され、結城神社の境内となる。結城神社は、翌明治17年に新築社殿に遷宮する。
明治19年(1886年)
12月に御旅所が北町に新設移転される。
明治24年(1891年)
大祭日が10月15日に改められる。
明治25年(1892年)
10月に御旅所が旧津城内の東之丸に新築移転される。
明治42年(1909年)
9月19日に、官祭招魂社が下部田に移築し、遷座する。(現;広明町・三重県護国神社)
明治44年(1911年)
12月に、鳥居が建て替えられる。
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昭和
昭和20年(1945年)
7月28日深夜に、第二次世界大戦における米軍の空襲が津にて行われ、焼夷弾投下によって津八幡宮の社殿など、大半の建物や神輿が焼失した。また、津市中心部の被害は甚大で、旧津城内東之丸の御旅所、各町の山車、衣装、道具類などそのほとんどが焼失する。
御神体は、空襲前に加良比乃神社に仮鎮齋されており、無事であった。また、氏子町の八幡町も無事であった。
10月15日に、仮鎮齋所である加良比乃神社にて例祭が行われる。
昭和21年(1946年)
10月14日に、新造された神輿(現神輿)にて、加良比乃神社より御霊が還御。還御祭が行われる。
10月15日に例祭、10月17日、18日に八幡町内や市中にて神輿巡幸が行われる。
御旅所は、大門町丁子屋跡地に仮設された。
昭和22年(1947年)
御旅所が津観音境内に仮設される。
昭和31年(1956年)
御旅所が津観音北の現在地に造営される。
津市分部町唐人踊保存会が発足し、唐人踊りが復活する
昭和33年(1958年)
2月に分部町唐人踊りが津市指定無形民俗文化財に登録される。(平成3年に三重県無形民俗文化財に指定)
昭和41年(1966年)
祭礼が「津まつり」として発展し、10月9日~11日の3日間に行われるようになる。
昭和42年(1967年)
氏子らの篤志奉賽によって現社殿が造営される。
昭和45年(1970年)
津しゃご馬保存会によりしゃご馬が復活する。
昭和48年(1973年)
津青年会議所が創立二十周年記念事業として高虎太鼓を創設する。
昭和51年(1976年)
西町自治会が玉山車(現;元気玉太鼓)を復活する。
昭和56年(1981年)
津八幡宮の祭礼が旧来の日程である10月15日~18日に戻る。(市内のイベントは10月9日~11日に行われた。)
昭和
昭和20年(1945年)
7月28日深夜に、第二次世界大戦における米軍の空襲が津にて行われ、焼夷弾投下によって津八幡宮の社殿など、大半の建物や神輿が焼失した。また、津市中心部の被害は甚大で、旧津城内東之丸の御旅所、各町の山車、衣装、道具類などそのほとんどが焼失する。
御神体は、空襲前に加良比乃神社に仮鎮齋されており、無事であった。また、氏子町の八幡町も無事であった。
10月15日に、仮鎮齋所である加良比乃神社にて例祭が行われる。
昭和21年(1946年)
10月14日に、新造された神輿(現神輿)にて、加良比乃神社より御霊が還御。還御祭が行われる。
10月15日に例祭、10月17日、18日に八幡町内や市中にて神輿巡幸が行われる。
御旅所は、大門町丁子屋跡地に仮設された。
昭和22年(1947年)
御旅所が津観音境内に仮設される。
昭和31年(1956年)
御旅所が津観音北の現在地に造営される。
津市分部町唐人踊保存会が発足し、唐人踊りが復活する
昭和33年(1958年)
2月に分部町唐人踊りが津市指定無形民俗文化財に登録される。(平成3年に三重県無形民俗文化財に指定)
昭和41年(1966年)
祭礼が「津まつり」として発展し、10月9日~11日の3日間に行われるようになる。
昭和42年(1967年)
氏子らの篤志奉賽によって現社殿が造営される。
昭和45年(1970年)
津しゃご馬保存会によりしゃご馬が復活する。
昭和48年(1973年)
津青年会議所が創立二十周年記念事業として高虎太鼓を創設する。
昭和51年(1976年)
西町自治会が玉山車(現;元気玉太鼓)を復活する。
昭和56年(1981年)
津八幡宮の祭礼が旧来の日程である10月15日~18日に戻る。(市内のイベントは10月9日~11日に行われた。)
平成
平成元年(1989年)
昭和天皇の崩御に伴い全国的に様々な行事が自粛され、津八幡宮の神輿渡御神事も行わなかった。
西町自治会による玉山車が少子高齢化により休止となる。
平成 2年(1990年)
津八幡宮の祭礼が10月9日~11日に改められる。
平成 3年(1991年)
八幡神社の社号を古来の社号である八幡宮に復し、正式に「津八幡宮」と改称する。
3月26日に、分部町唐人踊りが三重県無形民俗文化財に指定される。
ふるさと創生事業により、和船山車「安濃津丸」が建造される。
10月15日に、鳥居が建て替えられる。併せて社殿の修理や参道整備が行われる。
平成 4年(1992年)
唐人踊りを継ぐ会「子ども唐人」が発足する。
津高虎太鼓 華乃津会が発足する。
平成 9年(1997年)
3月5日に、しゃご馬が津市指定無形民俗文化財に指定される。
平成10年(1998年)
津商工会議所が玉山車を元気玉太鼓として復活させる
津青年会議所により「よさこいソーラン」が開催され、これが後の安濃津よさこいとなる。
平成11年(1999年)
津まつりの日程が10月9日、10日の2日間に改められる。
安濃津よさこいが初めて開催される。
平成12年(2000年)
津まつりの日程が体育の日(現;スポーツの日)の前々日と前日に変更となる。
平成13年(2001年)
5月27日に。唐人さんの家が東丸之内(旧;分部町)に開館する。(平成17年(2005年)2月28日に閉館)
12月5日に、古文書八幡町文書(八幡町)が津市指定文化財に指定される。
平成 16年(2004年)
9月11日(土)~10月11日(月・祝)の日程で、三重県立美術館にて企画展「まつり・祭・津まつり展」が行われる。
9月18日に、御旅所が建て替えられ、竣工する。
平成17年(2005年)
9月5日に、八幡獅子舞が津市指定無形民俗文化財に指定される。
平成21年(2009年)
津まつり前夜祭が行われるようになる。
平成 26年(2014年)
3月28日に、入江和歌囃子が津市指定無形民俗文化財に指定される。
↑
平成
平成元年(1989年)
昭和天皇の崩御に伴い全国的に様々な行事が自粛され、津八幡宮の神輿渡御神事も行わなかった。
西町自治会による玉山車が少子高齢化により休止となる。
平成 2年(1990年)
津八幡宮の祭礼が10月9日~11日に改められる。
平成 3年(1991年)
八幡神社の社号を古来の社号である八幡宮に復し、正式に「津八幡宮」と改称する。
3月26日に、分部町唐人踊りが三重県無形民俗文化財に指定される。
ふるさと創生事業により、和船山車「安濃津丸」が建造される。
10月15日に、鳥居が建て替えられる。併せて社殿の修理や参道整備が行われる。
平成 4年(1992年)
唐人踊りを継ぐ会「子ども唐人」が発足する。
津高虎太鼓 華乃津会が発足する。
平成 9年(1997年)
3月5日に、しゃご馬が津市指定無形民俗文化財に指定される。
平成10年(1998年)
津商工会議所が玉山車を元気玉太鼓として復活させる
津青年会議所により「よさこいソーラン」が開催され、これが後の安濃津よさこいとなる。
平成11年(1999年)
津まつりの日程が10月9日、10日の2日間に改められる。
安濃津よさこいが初めて開催される。
平成12年(2000年)
津まつりの日程が体育の日(現;スポーツの日)の前々日と前日に変更となる。
平成13年(2001年)
5月27日に。唐人さんの家が東丸之内(旧;分部町)に開館する。(平成17年(2005年)2月28日に閉館)
12月5日に、古文書八幡町文書(八幡町)が津市指定文化財に指定される。
平成 16年(2004年)
9月11日(土)~10月11日(月・祝)の日程で、三重県立美術館にて企画展「まつり・祭・津まつり展」が行われる。
9月18日に、御旅所が建て替えられ、竣工する。
平成17年(2005年)
9月5日に、八幡獅子舞が津市指定無形民俗文化財に指定される。
平成21年(2009年)
津まつり前夜祭が行われるようになる。
平成 26年(2014年)
3月28日に、入江和歌囃子が津市指定無形民俗文化財に指定される。
令和
令和 元年(2019年)
台風第19号接近により、前夜祭と一日目の行事は全て中止となる。二日目は通常開催。
令和 2年(2020年)
COVID-19の世界的大流行により、津まつりの行事は全て中止となる。15日の例祭は神職のみで行われる。
津まつりの中止に伴い、10月10日(土)から31日(土)の日程で、津まつりHP内にて各団体の演舞動画が見られる「オンライン津まつり」が開設された。
令和 3年(2021年)
前年に続くCOVID-19の世界的大流行により、津まつりの行事は全て中止となる。15日の例祭は神職のみで行われる。
津まつりの中止に伴い、10月9日(土)から30日(土)の日程で、津まつりHP内にて各団体の演舞動画が見られる「オンライン津まつり」が前年に続き開設された。
令和 4年(2022年)
7月1日に、三十六歌仙扁額が津市指定文化財に指定され、指定を記念して9月10日(土)~11月13日(日)の日程で、石水博物館にて特別展「津八幡宮の名宝 -三十六歌仙絵大公開-」が実施された。
10月8日(土)、9日(日)に津まつり(神輿渡御神事、郷土芸能巡行、その他催し)、10月15日(土)に津八幡宮例祭が行われる。
※COVID-19の影響により、津まつりは3年ぶりに規模を縮小して実施された。
令和 5年(2023年)
10月7日(土)、8日(日)に津まつり(神輿渡御神事、郷土芸能巡行、その他催し)、
10月15日(日)に津八幡宮例祭が4年ぶりに通常規模で行われる。
↑
令和
令和 元年(2019年)
台風第19号接近により、前夜祭と一日目の行事は全て中止となる。二日目は通常開催。
令和 2年(2020年)
COVID-19の世界的大流行により、津まつりの行事は全て中止となる。15日の例祭は神職のみで行われる。
津まつりの中止に伴い、10月10日(土)から31日(土)の日程で、津まつりHP内にて各団体の演舞動画が見られる「オンライン津まつり」が開設された。
令和 3年(2021年)
前年に続くCOVID-19の世界的大流行により、津まつりの行事は全て中止となる。15日の例祭は神職のみで行われる。
津まつりの中止に伴い、10月9日(土)から30日(土)の日程で、津まつりHP内にて各団体の演舞動画が見られる「オンライン津まつり」が前年に続き開設された。
令和 4年(2022年)
7月1日に、三十六歌仙扁額が津市指定文化財に指定され、指定を記念して9月10日(土)~11月13日(日)の日程で、石水博物館にて特別展「津八幡宮の名宝 -三十六歌仙絵大公開-」が実施された。
10月8日(土)、9日(日)に津まつり(神輿渡御神事、郷土芸能巡行、その他催し)、10月15日(土)に津八幡宮例祭が行われる。
※COVID-19の影響により、津まつりは3年ぶりに規模を縮小して実施された。
令和 5年(2023年)
10月7日(土)、8日(日)に津まつり(神輿渡御神事、郷土芸能巡行、その他催し)、
10月15日(日)に津八幡宮例祭が4年ぶりに通常規模で行われる。
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津城
牟山神社
加良比乃神社
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