元気玉太鼓[津商工会議所 青年部]

 江戸時代に疫病退散を願って玉山車が作られ、西町(現;北丸之内、中央)の人々により守られてきました。

 少子高齢化により一時休止しましたが、平成10年(1998年)に津商工会議所青年部が「元気玉」として再復活させ、現在に引き継がれています。

元気玉太鼓(げんきだま だいこ)

 出現時期:江戸時代

 旧継承町:津市西町

 旧継承町現在地名:津市北丸之内、中央

 継承団体:津商工会議所 青年部 (平成10年(1998年)~)

元気玉太鼓(げんきだま だいこ)

 出現時期:江戸時代

 旧継承町:津市西町

 旧継承町現在地名:津市北丸之内、中央

 継承団体:津商工会議所 青年部 (平成10年(1998年)~)

元気玉太鼓とは

津商工会議所 青年部(津YEG)

元気玉太鼓とは

津商工会議所 青年部(津YEG)

元気玉太鼓 ゆかりの地

元気玉太鼓 ゆかりの地

元気玉太鼓とは

 江戸時代に疫病退散を願って作られた玉山車は、第二次世界大戦で姿を消すまで西町(現;北丸之内、中央)の人々により守られ、まつり行列の先頭を務めてきました。

 山車は戦災で焼失しましたが、西町自治会が昭和51年(1976年)に復活させ、平成元年(1989年)まで続けられました。その後、少子高齢化により休止しましたが、平成10年(1998年)に津商工会議所青年部(以下、津YEG)が現代の疫病である「不景気」の退散を願い、「元気玉」として再復活させました。

 現在では、かつての玉山車の伝統を受け継ぎ、津八幡宮より祭礼行列の先頭を一番山車として務め、市内の巡行を行っています。

 現在の元気玉太鼓は、津YEGの現役およびOBによる「おはやし隊」と、有志の人々による「元気玉協力会」により構成されており、津まつりでは山車を曳き、うちわ太鼓を叩いて元気に氏子町を巡行します。津の郷土芸能の中でうちわ太鼓を演奏するのは元気玉太鼓のみで、うちわ太鼓を用いた軽快で元気いっぱいの演奏は、元気玉太鼓の特徴となっています。また、津YEGは津まつり以外でも元気玉太鼓を披露しており、5月頃に行われる郷土芸能ふれあいフェスティバルや7月に行われる栗真町屋町の巨大龍踊りなど、市内外の様々な行事でも活躍しています。

元気玉太鼓

津商工会議所 青年部(津YEG)

 元気玉太鼓を継承する津YEGは、「津商工会議所の青年部として商工業の運営者並びに後継者としての人格識見を高め、 商工業全般の健全な発達を図るとともに会員相互の啓発と親睦を図り、地域商工業の振興に寄与すること」を目的として活動しており、商工業の発展のための様々な事業を行っています。

 津まつりでは元気玉太鼓の巡行のほか、津まつりの会場の1つである「フェニックス会場(東)~YEG祭会場~」を設営・運営しており、同会場で行われるYEG祭を主催しています。

 YEG祭では、地域物産の販売のほか、飲食コーナーや様々な体験ブースを設置しています。また、同会場のステージでは、様々な個人や団体によるダンスやライブパフォーマンスなどが行われるほか、元気玉太鼓の演舞が見られます。

元気玉山車

元気玉太鼓 ゆかりの地

西町(現;津市北丸之内、中央)

西町の概要

 かつて西町は、津城の京口御門に通ずる町人町で、明治22年(1889年)の市制施行後、昭和11年(1936年)までは現在の津市立中央保育園の地に津市役所が設置され、半世紀近くにわたって市政の中心をなしていました。
 現在は津市北丸之内と中央の一部となっており、中央には津地方裁判所や津法務総合庁舎、津中央郵便局が立ち並び、津市中心部の一角を成しています。

西町の由来と位置

 西町の名は方位によるもので、西町の東側に中町、そのさらに東側に東町があり、同じ時期に町が成立しているので、三町の位置から西町になったと考えられていますが、東西の方位の基準が明らかになっていません。
 西町は、津城の大手門である京口御門の北側に位置し、東に中町、西に東検校町、南に京口町、北に常磐町と接していました。現在、これらの町は西町と同じく、北丸之内や中央となっています。

西町の歴史

 江戸時代には津城の京口御門に通ずる町人町でした。
 明治22年(1889年)4月に津市が誕生し、同年8月2日に西町の元安濃郡公会所跡に津市役所が建てられると、大正6年(1917年)には市役所に隣接して市議会議場も建設されました。その後、昭和11年(1936年)に丸之内本町の旧市立高等女学校跡へ移転するまで、半世紀近くにわたって市政の中心を成していました。その跡地は、勤労動員署・国立病院診療所・津市警察署・水道事務所などとして使用されてきましたが、昭和48年(1973)4月、この地に津市立中央保育園が開設され、現在に至っています。
 住居表示の実施に伴い、昭和47年(1972)5月1日に町の大部分が中央の一部となり、昭和56年(1981)7月4日の土地区画整理事業の施行に伴い、残りの区域が北丸之内に編入され、現在に至ります。

現在の旧西町(北丸之内、中央)

 現在の津市北丸之内は、安濃川の南側(右岸)に位置し、東を国道23号線、西と南を市道 河辺町贄崎線に接しています。
 また、津市中央は、津城北側に位置し、東西を国道23号線と市道 御山荘橋岩田線、南北を県道42号線(津芸濃大山田線)と市道 河辺町贄崎線に接しています。町内には、津地方裁判所や津法務総合庁舎、津中央郵便局があり、津市の行政機関などが集まる津市中心部の一角となっています。

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